どんな事でも、好奇心の赴くままのブログです。

今更ながらのマイケル・ジャクソン

圧倒されました。

昨日の昼。仕事前の短い時間帯。
偶然、BSでマイケル・ジャクソンのデビュー30周年記念公演を観ました。
 【30th Anniversary Celebration】 

まれにみる才能を失ったのだと実感してしまいました。
それも、絶大な人気の後の、いやらしい噂だらけの中で。

歌も、ダンスも、演出も。
その魅力の前に深く深く反省しました。
もっと、正当な評価をするべきだったのですよね。

正直、生前の彼のパフォーマンスを、
一度だって、まじめに観たことも無く聴いたことも無かったのです。

TV画面。Jacksonsとの共演。
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客席には友人だったエリザベス・テーラー。
祝いのステージには、ライザミネリ、ビヨンセ、…他にも著名な歌手達。
短いスピーチと歌の献上。
それらに応えて、マイケルが唄って踊って・・・・実に豪華。

マイケル・ジャクソン絶頂期のステージ?。

もっと、早く、彼の才能を正当に評価するべきだったと反省した次第です。
我ながら、何度も、こんな失敗を重ねています。

情けない・・・








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紅葉の鎌倉

やっと、・・・紅葉前線が下りてきたのかな?
箱根に遅れて、鎌倉の木々も紅く黄色く染まってきた。

我が家の藤棚の先端。空が青い。
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深い緑陰を作る分、黄変した落ち葉掃きが大仕事!
ご近所まで飛散するので・・・謝りつつの冬支度。


昼過ぎに【鎌倉市芸能まつり】のコーラス出演を終えた。
友人の小物の店に寄ろうと、つい、うっかり、市街に出てしまったら
道路は観光客であふれるほど。駐車場は何処も満車状態。

渋滞の車列に入り込み、そのまま、結局、Uターンで、帰宅。

車窓からの高徳寺山門前の光景。

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露座の美男仏、【鎌倉の大仏様】のおわします寺。
オバマさんが抹茶アイスを楽しんだ場所。
大仏さまは、境内に入らないと拝見できない。
もう、数十年、お逢いしていないなあ・・・ご近所だと言うのに。


北朝鮮の威嚇
韓国米国の合同演習

・・物騒で陰鬱な情勢だと言うのに、のんびりと唄ったり観光したり・・
当然のように人生を楽しむ人々であふれている。
平和で豊かで温かく・・・美しい初冬。


好事魔多し・・・

海老蔵さん・・・どないしたんや?

海老蔵という名跡には、思い入れが在る。

父が歌舞伎ファンだったせいで・・と言うより、
当時、企業への接待の一種でチケットを頂くことが多かったのだろう。
二枚もらえば、病弱の母ではなく、私を連れて行った。
勿論、学校はずる休み・・・幼くして歌舞伎のファンに。

「歌舞伎」というフォト雑誌もあり、毎月、とっていた。
写真は古今の名優の舞台姿や、素顔。
芸談、名跡の由来、評論などなど、楽しんだ。

先々代海老蔵は、それはそれは美男子だった。
踊りには、肩を張ってしまう癖があり、唯一の欠点と思われていたが、
それを上回るほどの美しさと口跡の良さが人気を支えていた。

その夫人は、歌舞伎界出身のご令嬢でもなく、粋筋でもなく、
幼児から身辺を見ていてくれた女性・・女中さん。忍ぶ恋の末の結婚。
このあたりは小説【柝の音】宮尾登美子著にて公になっている。
その後、団十郎を襲名。それが先代の団十郎。
陰影の有る美しさが、新作【源氏物語】の光源氏に発揮されていたのが印象に残る。

(話は横にそれるが、当代勘三郎の光源氏は、御陽気で輝くばかりの美しさだ。
伝統芸とはいえ、やはり、役者の個性は存分に表われる。)

さて、息子に代わり、陳謝し続ける当代団十郎は、その息子・・
今回、負傷した海老蔵の父親だ。
父親に似ず、どんぐり眼で大きな顔なのが残念。当然、芸風芸域も荒事に。
踊りは父親より上手だと思う。

その息子が、当代、海老蔵
容姿も芸も、祖父と父の良いところを充分受け継いでいる。
勧進帳の武蔵坊弁慶も光源氏も演じられる硬軟の資質。
そのうえ、自己愛のたまものか、鍛錬した肉体と、研鑽した芸を持って、人気絶頂期にある。
妻に女子アナ小林麻央を得て、「人生の華」を満喫する今、
何故に、いまだに夜の街で放蕩?を続けるのか?


ニュースを知って、まず思い浮かんだのは
 【好事魔多し】
【好漢自重せよ】

いずれ・・・事の本質が解れば違う四字熟語がうかぶだろうか。


満35年と半年

仕事・・公文式教室の指導者・・をスタートして、丸35年と6っ月を経た。
1975年、五月開設。

思えば、日本社会の最盛期、1970年代、80年代を駆け抜けた。
『所得倍増』を切っかっけに、日本全体が、希望にあふれ、エネルギーに満ち・・・
そんな追い風のおかげか、苦労も無く、実力以上の成果を上げられた。
仕事と育児家事の両立もしたつもり。
週に二回、午後からの6時間。懸命に力を注ぐ。
既婚女性が働くには最適の仕事だった。

資本金0円でスタートした仕事。
借金をしてまで、拡大しようなんて思いもしない・
妻の分際と、身の程を承知の上で・・・淡々と愚直に続けてきただけ。

必要だったものは
母性のもつ公平で平等な愛情
小さな者、弱い者への惜しみない慈愛
同時進行の、しかも長時間の緊張にたいする耐性。
全方向へ常時要求される、細やかな気配り、配慮。
教えることへの、飽くなき興味と学習力。


おもえば、女性だからこそ、家庭を持っているからこその能力。
若い専業主婦、『何か、社会に繋がって見たい』と願っている方が、
この仕事を選んで、我が子のためにも、週に二回、働いてみたら良いのにと願う。

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咲き残りのホトトギス。


ボケて、自分が右往左往するのはともかくとして、
生徒さんへの責任を果たせなくなったら。。。
そうなったら、即、辞めよう。




ボケ?!

ここ数年らい、痴呆症は治るということらしい。
嬉しいような、困ったような…複雑な気分。
相方のボケは是非治療して完治してもらいたい。

自分は・・・程よくボケて、老いの苦痛を知らずに天国に召されたい。

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酔生夢死・・・・。

昨日は勤労感謝の日。
でも火曜日。
火曜日は午前中は老人会の合唱練習。
午後からはシャンソンのレッスン。

・・・
10時前に町内会館に行ったら、閉まっている。え?休み!?
それではと、一週間ぶりに・・楽譜を開いて・・シャンソンを練習。
珍しくたっぷり唄って、これならご指導いただけるレベルと、ほっとしながら藤沢へ。
レッスン場・・ホテル七階の準スイートルーム・・が閉まっている。え?休み!?
ボケましたね~。完全に。
そういえば・・・・23日は云々って言ってたっけ?
定かではないが、ともかく、仕方ない。


かくして、無駄な動きばかりの一日。
情けないやら可笑しいやら。。。。(^^ゞ

どうせ、さしたる義務も責任も無いのだから、
これはこれとして良い一日。
だって、外出するとなればお化粧もするし服装にも気配りする。
身じまいを正せば、精神の緊張も?
なにより、かにより、
風邪を言い訳に、一週間、全くしなかった練習を、たっぷり、できたものね。

年長の友人たちのおトボケ振りを、これからは笑うまい。
いずれ行く道とは承知していたが、思いのほか、早く来たみたい。

草笛日記ならぬ、ボケ日記になる日も・・・?
せめて、テンプレートを変えて緊張緊張。



失言・・・

此処に来て、柳田法務大臣が槍玉にあがっていたが
今朝、ついに、自ら、辞任したという。
『・・・の二つの答弁を覚えていれば云々』は、
身内を前にしての、ちょっとはにかんだ甘えた表現?。
『法務大臣として頑張ってます・・』って言えない、照れる気分?。
思いがけず、法務大臣になってしまった恥じらい?
複雑な尖閣問題について、本当のことが言えない、
たしかに、ツーー・パターンの答弁しかできない自虐?

解らないではない。有る意味、正直なんだろう。

会話は、形には現れない雰囲気の中で交わされるもの。
その場にいて、録音して、その部分だけ取り上げ、大袈裟に騒ぐ・・
その品性の無さを、私は、嘆かわしいと思う。
仙谷官房長官の失言。
【自衛隊は暴力組織】にはじまり・・・ちょっと、こっちは深刻?。
笑っちゃうのは委員会議長の、「センゴク総理大臣!」。

言葉はその人の想念の中に在るからこそ出てくるらしい。
ゆえに、本音なのだろう。本音は本質を突くから面白い。


会話の面白い人、お話上手な人は、ついつい失言も多くなる。
そのうえ、物想うことの多い人ほど、ポロリと本音が漏れる。
批判精神の吐露の前に、その座への配慮が必要なのだが・・・

挙げ足を取ろうと待ち構えれば、ほんの冗談もターゲットになる。
不景気のせいか、日本列島全て、誰かの足を引っ張り、こき下ろすことに夢中。
昔の政治家の『ア~ウ~』が、政治生命維持には正解だったのかもしれない?。

明快に、堂々と、理路整然と、説明責任を果たす。
自分の信念を、他に気配りしながら、述べる。

難しいなあ・・・・

それにしても、『あの時、言った』の『言わない』の、
謝れだの、謝り方が不足だの・・・
終始、挙げ足を取って、大切な審議時間をつぶす野党議員の醜悪さ愚かさにも、辟易する。






医療というもの。

医療拒否
『治療費の、自己負担額が払えないから,治療を中断する人々が増えている。』
ニュースが伝える。

違うよ・・・もう、医者に掛かりたくないんだよ。

病院に行けば、直ぐ、検査。
血液検査に、X線検査、
『念のために』と、いつの間にか内視鏡検査にまで進む。
結果、何事もなし。でも月一回、来院して検査せよとのたもう。

歯医者も整骨医も、治療前に、まずレントゲン写真を撮る。
眼科医も、あれこれと、たっぷり眼底検査して、何度も検眼して・・・
結果、施術するにはまだ猶予が有る。
『老化しているのは事実だから、半年に一回、検査しましょう』って。
老化は当たり前のこと。見えなくなったら行く。


もう、行かない!・・・という医療拒否

『病院に行くから病気になる』
『検査するから、病名が付く』


身体に異常を感じたら這ってでも医者に行く。
お金が無くても、借金してでも行く。
行かないではおれないほど、身体が異変を訴えてくるはずだ。

【癌は、早期発見して、早期治療すれば完治する】と言う幻想。
癌の幻影に脅え、大義名分的幻想に乗せられて唯々諾々と大量のX線を浴びる。
検査しても、しなくても、罹病率は同じだろう。
律儀に毎年検査すれば、癌にならないとでもいうのか。


そもそも、人間ドックとか定期健診とかは、必要なのだろうか?
病気は病気になったら治療する。
神経質に自分の体調に過敏であることのほうが余程、不健康だ。
気の病と書くではないか。
長生きしたくても、DNAの決定により、各個人の寿命も判明している。
天命には逆らえないという事実に眼を向けるべき。


つくづく思うに、おそらくは、医療機関にとって、
検査行為は治療行為と違って、まったく、過誤診療等々のリスクがない。
検査費は保険外も多く、単価が高く、点数も高い。
ダントツに、利益収益が高いのだろう。


製薬会社をはじめ、医療機関が儲け過ぎなんだと気がつかなくっちゃ!!
この国の医療保険が危機に瀕しているって言うのに・・・


おりしも、インフルエンザ予防接種の季節がきた。
『接種しても、必ずしも罹らないと言うわけではない』と医者は言う。
言いながら、5000円も取る。
一本の注射で、医療機関には10000円以上入るはず。
医業も、また、強迫産業になってしまったのか?。


・・・なんて、偉そうに言っていたら・・・
なんと、数年ぶりに、風邪をひいてしまった。
今回、なかなか治らない。(--〆)
クリスマス会を目前に、自分の限界を悟って落ち込んで、グタグタ暮らしていた。
そのうえ、ダイエットに励んで、こんにゃくばかり食べていたものね。
怠惰と気の弱りと栄養不足が風邪を呼びこんだ?。

つくづく、病は気から!しっかりしなくちゃ。
お風呂に入って、ステーキを食べよう!





Beaujolais Nouveau 2010

昨日はボージョレ・ヌーヴォー2010の解禁日。
三笠会館、鵠沼店で、そのためのランチを用意するというので、誘われて出かける。

入り口のベコニアが、文字通りの返り咲き
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チーズをフンダンに使ったマグロのカルパッチョが前菜。
サーモンのモッツアレラ包み
子牛ロースのステーキ
などなど、を相手に、ボジョレ・ヌーヴォー2010を心行くまで楽しむ。
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葡萄の品種はガメイ種の赤ワイン。
産地は、もちろん、フランス、ブルゴーニュ地方、ボージョレ地区。
ラベルは日本人女性のデザインとのこと。

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濃いルビー色、香りはフルーティー。楚々とした乙女の風情。

運転を考えて、いつもは控えてるワイン。
今日は、車を駐車場に置いてタクシーで帰宅。
運転に自信は有るが・・30万円のボージョレ・ヌーヴォーになったら大変!。


阿部成子さん撮影の、スカイ・ツリー。
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空の青さに刷いた白雲・・・希望あふれる秋の色。
497m・・・「良くなる」・・と、メッセージを付けて送ってくださった。。

【60っ才を過ぎたら好きな事をすれば良い】は、
連れ合いの、優しい思いやりの言葉?。諦めの言葉?。
真っ正面に受け止めて…機会があれば好きな事、楽しい事、に励む。

そして、一つずつ、新たな才能とチャンスに繋がっていく。
思いがけない老後の楽しみ。












ミステリー作家 浜尾四郎・・・2

殺された天一坊(2
昨日の続きです。
とにかく、裁く者の葛藤は、いま、裁判員制度の中で、
尖閣諸島問題に集約される政治的判断の是非が問われる今だからこそ、
この短編小説は私には衝撃的でした。
大仰を覚悟で言うなら【正義】とは何ぞや?【裁判】とは何ぞや・・。


 『天一坊は此の世の中というもののほんとうの恐ろしさを知らなかったのでございます。真実の事実を有りの儘に申す事、もっとむずかしく申せば真実と信じた事をはっきりと申すことが、此の世の中でどんなに恐ろしい結果を招くかという事をあの男は存じませんでした。だからあの男は愚者でございます。世にも稀な馬鹿者でございます。』


この時にこの小説を紹介したkinkunさんを尊敬してしまいます。
御承諾を得て、此処に転載しています。

【きんくんの閑談】より。
今日は、浜尾四郎の『殺された天一坊』の後半を紹介します。

『殺された天一坊』(浜尾四郎)

 所が、斯ういう暗い陰気なお顔色が、或る時期から急に再び明るく輝き出すようになッて参りました。それはいつ頃でございましたか、又如何いう事からと申す事ははっきりおぼえませぬが、あくる年の春、或るお親しいお方とお話をなさッた後の事と存じて居ります。何でも其の時のお話の中に、先程申しました橋本さきという女と煙草屋彦兵衛という男の名が出ましたと見え御奉行様はお一人におなり遊ばしてから、頻りと其の名を繰り返しておいでになりましたが、急に晴やかなお顔色におなり遊ばして、お側の者をお召しになり不意に「世間は余を名奉行だと申して居るか」とおたずねになったのでございます。お側の者がその旨申し上げますと、晴やかなお顔色で更に「悪人だから処刑になるのか、処刑になるから悪人なのだか、判るか」と笑いながら仰せられたのでございました。
 そして其の日から再び御奉行様はもとのように大層明るく、御機嫌もよくおなり遊ばしたのでございます。ただ、何と申しましても以前のようなあの明るさ華やかさは最早見られませんでしたけれども。そうして矢張り折々は何となく暗い顔をなさるのでございました。
 何故斯う又お変り遊ばしたのでございましょうか。
 私今となッて考えまするに御奉行様は御自身のお裁きに疑をお懐きになるようになり、自信をお失い遊ばしましてから、きッと、長い間、苦しみと悩みの中をお迷いになったに相違ございませぬ。あれ程迄にお信じになり御頼りになッておいでになッた御自身でございます、これが思いがけない事実によッて裏切られましたのでございますもの。若し、あの儘に続いたなら、御奉行様はやがてそのお役目をお退き遊ばしたに違いないのでございます。御奉行様がお役目をお退きにならず、而も晴やかに再び活き活きとお勤め始めになりましたのは何故でございましたでしょう。
 浅墓な私の一存と致しましては斯う考えたいのでございます。御奉行様は一時大変に信頼遊ばしていらしッた自分のお智恵に対して自信をお失いになッた。けれども何か之に代るべき何物かをはッきりとお掴みになッたのでございます。それは力と申すものでございます。と申してもそれは奉行様というお役目の力ではございませぬ。御奉行様のお裁きが、天下の人々に与えます一ツの信仰、御奉行様の盲目的な信仰という一ツの力をはッきりとお知りになッたのでございます。
 何故と申せ、御奉行様をお悩ませ申した事件は、一方の方では御奉行様のお智恵を裏切ッているようではございますが、一面では必ず御奉行様のお力をはッきりと示して居るではございませんか。
 橋本さきは何故死ななければならなかッたか。御奉行様がお負かしになったからでございます。御奉行様が「偽り者め」と一言仰言ッたからでございます。「さき」が真の母親であッたか如何かはどうでもよい事なのでございます。天下の人々は御奉行様がお負かしになったから「さき」が嘘の母親だと信じるのでございます。煙草屋彦兵衛に致しましても左様ではございませんでしょうか。彦兵衛が罪人だからお処刑になったのだと申しますよりは、御奉行様が御処刑になさッたから悪人でもあり罪人でもある、と多くの人々は考えるのでございます。
 之は並々の奉行の出来る事ではございませぬ。あの御奉行様なればこそでございます。天下の人達が神様のように尊敬致し、名奉行、名裁判と申し上げているからこそ斯様なことになるのでございます。
 考えるのも恐ろしい事でございますが「橋本さき」「煙草屋彦兵衛」の外の、数多い事件に致しましても、幸か不幸か後に色々な事実が現われませぬからその儘になって居りますようなものの、凡てが天下の人々が信じて居ります通りの事実であったのだと、誰が申すことが出来るでございましょう。
 所詮は神様でない限り、人が人を裁く限り、いくら御奉行様でもお間違いがないとは申せますまい。出来ない事を執拗に探るよりは、天下の御法というものの有難さをはっきり知らせる方が世の為なのでございませんでしょうか。
 御奉行様に対する天下の信仰はそれで立派な一つの御治世の道具になるのでございます。
 なまじ事実を一つでも探り出して今更其の信仰を動かすよりは、いっその事ますます其の信仰を強くしてそれを以て世を治めて行こうとお考え遊ばしたのではございませんでしょうか。長い長い暗闇をお通りぬけになった御奉行様は、斯うやってようやく明るみにお出ましになったのだと、憚り乍ら私は考えますのでございます。
 つまり、御奉行様は智恵に就いての御自信をお失いになった代りに新に、御自分の力に就いてはっきりと御自信をお掴みになったのでございます。斯う考えますせいか、初めはただ御自分の御名声がもて囃されるのをただ笑って聞いていらっした御奉行様も、其の後は大層真面目に世評に気をくばっていらしったように存ぜられるのでございます。
 さて、斯うやって折角安住の地をお見出しになりました御奉行様は間もなく又もお悩みにならなければならなくなったのでございます。御奉行様のお智恵でも、お力でも如何ともする事の出来ないような一件が持ち上ったのでございました。それは申すまでもなく、天一坊の一件でございます。



 天一坊が如何いう男で、如何いう事を申し出したか、というような事に就きましては私は今更事新しく申し上げますまい。あなた様方もよく御存じの事と存じますから。
 私はただあの頃の御奉行様の御有様を申し上げますでございましょう。
 天一坊という名を御奉行様がお耳にお入れになりましたのは、未だあの男が江戸表に参りませず、上方に居た頃だったと存じます。
 恐れ多くも公方様の御落胤という天一坊が数人の主だった者と共に江戸表に参ろうという噂が早くも聞えたのでございました。
 此の報知を耳になさった時、御奉行様はいつになく暗い顔をなされ、それからは偉い方々と頻りに行き来をなさったようにおぼえます。中にも伊豆守様御邸には屡々御出入遊ばし御密談がございましたが、いずれも天一坊のお話だったに違いございませぬ。
 天一坊が愈々江戸に参りました時、御奉行様も伊豆守様其の外の方々と一所に御対面遊ばしました。其の時は伊豆守様自らお調べになったと、申す事でございますけれども、御奉行様も亦はじめて此の時天一坊を御覧になったのでございました。
 私は其の夜の御奉行様の御様子を今はっきりと思い浮べる事が出来るのでございます。伊豆守様、讃岐守様、山城守様などと共に天一坊にお会いになりました御奉行様は、其の夜蒼いお顔を遊ばしてお帰りになったのでございます。私はあの時程、恐ろしい、厳しいお様子を拝見致した事はございませぬ。それは決して、今迄に時々ございましたあの暗いお顔ではないのでございます。ただお心にお悩みをもっておいでの時の御様子ではないのでございます。それは何かただならぬ御決心を遊ばしておいでのように見えたのでございました。
 之は私、御奉行様を存じ上げまして以来はじめての出来事なのでございます。未だはっきりお調べもないうち、たった一度お会いになっただけで御決心をなさるなどという事はそれ迄決してなかった事でございます。
 仮りにも名奉行と世に謳われる御奉行様の御事でございます。その人の顔や様子の美醜に依って予め之は斯うとお定めになるような事は決してございませんでした。それどころではございませぬ。「裁きの以前に予め斯うだろうと思ってはならない。それは正しい裁きと云うものではない。相手の顔の美醜に動かされてはならない。それでは正しい裁きが出来ぬものだ」と平生からお役向のお家来達にくれぐれもお諭しになって居られるのでございます。
 此の日、伊豆守様が主に天一坊とお物語りになったそうでございます。そうして天一坊の側からはお落胤という証拠と致して公方様お墨附、並びにお短刀を示し、その時居られました方々にも皆々様之を拝見なされ、正物にまぎれもなき物と定ったそうでございます。御奉行様も其の場に居られて、そのお様子をすっかりお見届け遊ばされたわけなのでございます。
 お役目柄、御奉行様は半响でも対座なさりますれば必ず相手の人物をお見抜き遊ばす方でございます。それに致しましても天一坊が公方様のお胤であるかどうかと申す事まではお判りにはなりますまい。仮令、天一坊という男の性質がよろしくないとお見抜き遊ばしたにもせよ、お胤でないとは申せないわけでございます。まして持参のお証拠の品々は紛れもなく正しい物と定まって居りますのでございます。
 それだのに御奉行様のお決意は何を表わして居るのでございましょう。申す迄もなく私などには初めは頓と合点が参りませんでございました。
 公方様のお落胤が江戸にお出になった、と云う事で江戸中は大騒ぎでございます。公方様に於かせられましてもおぼえある事と見えまして近くお対面相い成るやにも承るようになって参りました。
 其の間、御奉行様は毎日のようにお登城を遊ばし、その度に暗い暗い顔色をしてお戻りになります。高貴のお方々も度々御奉行様にお会いになります御様子、その中、私にも何となく御奉行様の御決心の程もお察しがつかぬ事もなくなって参ったのでございます。
 浅慮の私からはっきりと申しますれば、御奉行様は始めて、天一坊にお対面になりましてから以来、何故か天一坊が公方様のお落胤であるという事実を信じまい信じまいとなさって居られたのでございます。奉行という重いお役目から、大事には大事をとって、と仰せられながら、お家来の衆を遙々紀州へおつかわしになりました時など、事の真相を糺すというよりも、あれは嘘だと申す証拠を掴みたがって居られるようにさえ感ぜられましたのでございました。どうかして天一坊を偽者だという証拠を得たい、どうかしてあれが御落胤でないという事を確信したい、斯ういうのが御奉行様の御心持であったに相違ございませぬ。
 何故と申すに、紀州に遣わされました方々が、天一坊が偽者であるという証拠を得られずに却って真ものであるという証拠を伝えて参りました時の御奉行様の御失望、御苦悩を私ははっきりと思い出す事が出来るからでございます。今までのお裁きの場合には、黒白何れか一方の証拠をお掴みになりますと御奉行様は世にも幸福な御様子をなさるのでございました。ところが今度に限ってそうでないのでございます。之は如何いうわけなのでございましょう。
 信じまい、信じまい、という時は過ぎ去りました。最早信じまいという事実を信じなければならぬ時が参ったのでございます。
 私が初めに、真に御奉行様が御役目の大切な所をお掴みになろうとお苦しみ遊ばしたと申し上げました時は、実に此の時なのでございました。
 では何故ああ迄、天一坊を偽者とお信じになりたかったのでございましょうか。
 之は色々に考えられますのでございますが、私が今思いますのは全く「天下の御為」という事からではなかったのではございませんでしょうか。
 つまり、御奉行様は天一坊の性質をお危ぶみになったのでございます。私には詳しい事は判り難ねますけれども、若し天一坊を公方様の御胤と認める時は、必ず天一坊は相当の高い位につかれるに相違ございませんのです。只今の世は太平とは申せ、位に似つかわしくない人間を或る力のある位置におく事が、どんなに恐ろしいものであるかという事を御奉行様は御考えになったのでございます。今まで全く微力だった人間に、不意に高い位置と大きな権力とを与える事は仮令それが当然の筋合であろうとも、その人間の性質によってはどんなに危険なものであるかをお考え遊ばしたのではございませんでしょうか。俗に氏より育ちと申すことがございます、仮令公方様の御胤にもせよ紀州に生れて九州に流れ野に伏し山に育って来た天一坊が、公方様にも次ぐ位に似つかわしい筈はございませぬ。さすれば一人を高い位置におく事は天下に禍いを生む事になるのではございますまいか。
 と申して天下の名奉行とも云われる御奉行様が、ほんとうの事実を曲げてもよろしいのでございましょうか。成程一人の生命を奪って天下を救う事は正しいように考えられます。けれども今の御治世に御法に依らないで其の一人の生命を奪う事が出来るものでございましょうか。而も事実はその一人は生命を奪われるどころか、栄貴を望む事の出来る立場に居るものでございます。御奉行様の御苦心は此処にあったのではなかったかと、私は恐れ乍ら御察し致して居るものなのでございます。



 事実が判りました時はあれ程御失望なさったらしい御奉行様も、其の翌日から再び厳粛な面持でお勤めにお出かけになりました。其の頃、お役目向の方々の外に、伊豆守様はじめ高位の方々も頻りと御奉行様と往来をなされて居られましたのでございます。
 或る日、夜更けて漸く御帰り遊ばしましたが、其の日は昼からずっとあの学者として名高い荻生様の御邸に参られ永く永くお物語り遊ばしたと申す事でございます。其の夜から御奉行様のお居間には和漢の御書がたくさんに開かれましたが、皆「正」とか「義」とか申すむずかしい事に就いての御本だったように存ぜられます。
 愈々最後に、明日は御自身で天一坊をお調べ遊ばし、それによって御奉行様が何れともお定めにならなければならぬと定りました其の前夜、御奉行様のお邸には荻生様、伊藤様の両先生が見えておそく迄お物語り遊ばしましたのでございます。
 天一坊お調べの節の有様はあなた様方もよく御存じの事と存じますが、御奉行様はいつもに似ず御低声で、お訊ねも主に外形にばかり注がれて居たと申す事でございます。天一坊の乗輿に就いてのお訊ね、御紋についてのお調べ、之皆外形の事柄でございます。肝心の御落胤か否かと申すことに就きましては、どうしてあのお墨附と御短刀だけで天一坊が其の本人だと云う事が出来るかというような事を仰せられただけだと申すことでございます。御言葉が激して来て天一坊にお迫りになった時、あの美しい僧形の若人は世にも悲しげな顔をして斯う申したという事でございます。

「世にまことの親をほんとに知る事の出来る人間が居りましょうか。誰しも生れた時の記憶が有るものではありません。親なる者が、自分がお前の親だというのをただ信じて居るに過ぎないのです。私のように、生れた時から私がお前の父だ、私がお前の母だと云ってくれる者がなかった人間は、不幸にも、ただただ周囲の者の云う事を信ずるより外、道がないのです。私が物心ついても誰もお前の父だ、お前の母だと云って出て来てくれる者はありませんでした。私が初めて父母の名と、其の行方を知ったのは、私を育ててくれた祖母が亡くなった時です。母はもはや世に居りませんでした。私を生んでくれた時に死んだのです。父の名を聞いた時、私は心から驚きました。と同時に、どうかして一度は会いたいと心から願いました。あなたは親と云ってくれる者を一人ももたずに育って来た人間の淋しさを御存じですか。あなたは何と考えていらっしゃるかも知れませんが、私はただ真実の父に会いたいばかりなのです。外に何も望んで居るわけではありませぬ。それだのに不幸に生み付けられた私は何という更に大きな不幸に出会わなければならないのでしょう。私は寧ろ名もなき人の子として生れたかったのです。さすれば父は喜んで私に会ってくれたでしょう。斯様に奉行を間に入れて罪人のように我が生みの子を取り扱わないでも済んだ筈です。思えば私の父も不幸な人間です。その生みの子に直ぐ会うわけにも行かないのですから。けれど、若し父にほんとうにおぼえがあれば必ず会いたがって居るに違いありませぬ」

 此の愚かな、けれど真直な天一坊の答えはあの男の為には運命を一時に決してしまったのでございました。あの男は不幸に生れ付きながら更に一番不幸な最後を、此の言葉が生み出す事を知らぬ程若かったのでございます。あの男はただ父親に会いたかったと申して居ります。それはそうに間違いございますまい。けれど御奉行様に致しますれば、それはただそれだけの意味にはならないのでございます。御奉行様は世の為に此の哀れな人の子を其の親に会わしてやることはお出来にならなかったのでございます。
 お調べの果は、御奉行様の為にも、又天一坊の為にも余りに悲惨すぎて詳しく申し上げる言葉もございませぬ。御奉行様の御取り計らいで、天一坊は全く偽者なる事に定りましたのでございます。
「天下を欺す大かたりめ」之が御奉行様が最後に天一坊に仰言ったお言葉でございますが、いつもに似ず御声に慄えを帯びておいでになったそうでございます。
 お邸にお帰り遊ばし、落葉散り敷く秋のお庭にお下り立ち遊ばした時の、御奉行様のお顔色は全く死人の色のようでございました。
 お処刑の済んだ事をお聞きになりました時、ただ一言「そうか」と仰せられまして淋しく御家来の顔をお眺めになりましたが、お伝えに上った御家来は其の時御奉行様にじっと見つめられて、総身に水を浴びせられたように、ぞっと致したと申す事でございます。
 其の時以来、再びあの暗い陰気な御方におなり遊ばしたのでございますが、何故か私には、最早昔の晴やかな愉快なお顔色は、永く永く御奉行様から去ってしまったように考えられてなりません。
 私は御奉行様の此のお裁きが、正しいか正しくないか、全く存じませぬ。いいえ、ほんとうを申せば、何故天一坊がお処刑にならなければならなかったかという事さえほんとうには解らないのでございます。私はただ私が考えましただけの事を申し上げたに過ぎないのでございます。御奉行様のあの御苦悩を思い、天一坊の余りにも痛ましい運命を考えますにつけ、拙き筆を運びまして、思う事ありし事、あとさきの順序もなく書き綴りましたのでございます。



ミステリー作家 浜尾四郎

ブログ友達
まだお会いしたことも無いのですが・・名古屋にkinkunというブロ友がいます。
お謡い、謡曲を調べていて、行き着いたブログです。
リンク【きんくんの閑談】です。http://kinkun.blog87.fc2.com/

いつも、眼から鱗のような衝撃的な話題で、読み応えが在ります。
先日、ミステリー作家、【浜尾四郎】を紹介していました。
まったく知らなかった作家。
御紹介は、丁寧にも、その作品をそのままアップしてくださっています。
以下、ぜひ、読んでみてください。後半は明日。

殺された天一坊(1)
今日は、浜尾四郎の命日です。

浜尾四郎〔明治29(1896)年4月24日~昭和10(1935)年10月29日〕)は、弁護士で推理小説作家です。
四郎は、男爵で医学博士の加藤照麿の四男として生まれ、大正7(1918)年に東京帝国大学に入学、この年に文部大臣、枢密院議長などを歴任した子爵の浜尾新の養子となります。
大正12(1923)年に東京帝国大学を卒業し、検事となり東京地方裁判所検事局に勤務するものの、昭和3(1928)年に退官して弁護士を開業します。
文筆家としては大正12(1923)年に『犯罪人としてのマクベス及びマクベス夫人』を「日本法政雑誌」に発表したのが最初で、推理小説作家としてのデビュー作は、昭和4(1929)年1月に「新青年」に発表した『誰が殺したか』です。

短編では“人が人を裁くことの限界”をテーマにした作品が多く、特に、天一坊事件を裁くことになった大岡越前守の立場から、裁く者の限界を厳しく突いた短編『殺された天一坊』〔昭和4(1929)年、「改造」〕は、戦前日本の短編ミステリの傑作と言われています。

晩年には貴族院議員も務めたが、脳溢血で39歳の若さで急逝しました。

今日と明日の2回に分けて、この『殺された天一坊』を紹介します。


『殺された天一坊』(浜尾四郎)

 あれ程迄世間を騒がせた天一坊も、とうとうお処刑となって、獄門に梟けられてしまいました。あの男の体は亡びてもあの悪名はいつ迄もいつ迄も永く伝えられる事でございましょう。世にも稀な大悪人、天下を騙し取ろうとした大かたり、こんな恐ろしい名が、きっとあの男に永く永くつき纏うに違いございませぬ。
 私のようなふつつか者が廻らぬ筆をとりましたのも、その事を考えましたからでございます。私からはっきりと申しますれば、あの男こそ世にも愚かな若人なのでございます。けれども決して大悪人ではございませんでした。
 ああした不思議な運命に生みつけられた人間はおとなしく此の有難い御治世の、どこかの片隅にじッと暮して行けばよかったのでございましょう。
 天一坊は此の世の中というもののほんとうの恐ろしさを知らなかったのでございます。真実の事実を有りの儘に申す事、もっとむずかしく申せば真実と信じた事をはっきりと申すことが、此の世の中でどんなに恐ろしい結果を招くかという事をあの男は存じませんでした。だからあの男は愚者でございます。世にも稀な馬鹿者でございます。
 それに、自分の正しく希望してよい事を、はっきりと希望した、というのもあの男の考えが至らぬ所でございました。此の世の中は法というものばかりでは治められぬ。いいえ、時によっては法というものさえも嘘をつくという事を知らなかったのでございましょう。
 あの男は気の毒な愚かな、しかし美しい若人でございました。
 でも、奉行様が、あの御奉行様でなかったなら、天一坊の運命は他の道を辿ったかも知れないのでございます。あの男があの御奉行様に裁かれなければならなかったのは、取り返しのつかない悲しい事だったに相違ございません。
 こう申したからと云って、私は決して御奉行様のことを悪く申し上げるのではございませぬ。御奉行様は御奉行様としてほんとに云い知れぬ程の御苦労をなさったのでございます。永く御奉行様を存じ上げて居ります私は、御奉行様がほんとうに御自分の御役目の大切な所をはっきり掴もうとなさったのは、実に天一坊の御裁きの時だった、とさえ信じたいのでございます。それ程迄に御苦労なさいましたのでございますもの、御奉行様の事を悪く考えられよう筈はございませぬ。
 私は御奉行様が天一坊を御調べになっていらっしゃいました頃、はじめて奉行という御役目がどんなに大切なものかをはっきり知ったのでございます。と同時に奉行という御役目の為にどんな悲しい事をも冒さなければならないかという事を知ったわけなのでございました。
 御奉行様はあの一件の為にどれ程お痩れなさった事でございましょう。皆之天下の御為なのでございます。今思いましても有難い極みでございます。
 一体、御奉行様と申す御方は、御聡明な、果断な、そうして自分を信じる事の大変に御強い御方なのでございます。此の御明智や御偉さは、私が御奉行様を存じ上げました頃から今に至るまで少しも御変りにはなりませぬ。
 けれども、奉行という御役目で御出会いになるいろいろの事件の為に、その御考えのもち方は今まで可なり御変りになったように存ぜられるのでございます。



 初め私が御奉行様を存じ上げました頃は、只今も申し上げました通りほんとうに御利発で御聡明である上に、御自分というものを御信じになることが大層御強くいらっしゃいました。
 あの頃の御奉行様の御裁きと申すものは、どれもがほんとうにてきぱきとして、胸のすくようなもの計りでございました。そうして、御奉行様の御名は日に日に、旭のように上り、それと並んでずんずんと御出世もなされたのでございました。
「自分のする事は間違いはないのだ。自分のする事は凡て正しいのだ」
 斯ういう心持が常に働いて居たためああした華やかしい御裁きがお出来になったのだと存じます。
 貴方様方も御承知の事でございましょうが、一人の子供を二人の母親が争いました時に御奉行様が御執りになった御裁きなどは誰もが皆感心したものでございました。
「真実の母親なればこそ、子供が泣いた時に手を放したのだ。それにもかまわず引きずるのは真の母親ではない。偽者めが」
 斯う仰言って、さっと御座をお立ち遊ばした時のあの御姿の神々しさ、私などはほんとうに有難涙にくれたものでございました。多くの方々もあっと云って感服致したものでございます。だが、私はあの時、敗けて偽者めと仰言られた女が、大勢の人々に罵られながら立って行く有様を見て何となく気の毒に思った事でございます。
 御承知でもございましょうが、日本橋辺の或る大きな質屋が、自分の地内に大きな蔵を建てまして隣家の小さな家に全く日の当らないように致しました時、隣家から訴え出ました際のあの名高い御立派な御裁き振もやはりあの頃の事でございました。
 神田お玉が池の古金買八郎兵衛の家の糠味噌桶の中から、五十両の金子を盗み出しました男をその振舞から即座に御見出しになりました時などは、ほんとうに江戸中の大評判となりましたものでございます。
 失礼な申し上げ方でございますが、御奉行様にとりましては、全くあの頃が一番御幸福だったのではなかったかと存ぜられます。勿論あれから益々御奉行様は御出世遊ばし、その御名は日に日に高くはなって参りましたけれども、私考えますには何と申しても、あの頃が御奉行様にとっては一番おしあわせな時代だったのでございます。何故ならば先程も申し上げました通り、御奉行様はどんな事に臨んでも少しも御困りになる事なく御立派に裁きを遊ばし、又その御自分のなさった御裁きを後から御考えになる事をも喜んでおいでになったようでございましたから。
 毎日のように行われる名裁判を毎日江戸の人々が囃し立てるのでございます。御奉行様の御耳にも其の評判がはいらぬわけはございませぬ。はいれば御奉行様だとて悪い気もちはなさらなかったに相違ございませぬ。思い出しますのは、あの頃の御奉行様の明るい愉快そうなお顔でございます。
 けれども斯うした時代はいつの間にか次の時代に移ってまいったのでございます。私の申しますのは御奉行様の御名声の事ではございませぬ。御名声はさき程も申し上げました通り旭のようにますます上る一方でございました。



 私がはじめて御奉行様の晴やかなお顔に、暗い影を見い出しましたのは或る春の夕暮でございました。お役目が済みましてからお邸にお帰りになりました時、いつになく暗いお顔をなされご機嫌もよろしくございませぬ。余りに公事が多すぎるお疲れかと、存じて居りましたのですが、其の夜はおそくまでお寝みになりませんでお一人で何かお考えになっておいで遊ばしたのでございます。
 その翌日も同じようにお出ましにはなりましたけれどもお帰りの時には矢張りご気分がおすぐれになりませぬ。
 其の夜私は、或る人から妙なお話を承りましたのでございました。
 何でも二、三日前に深川辺の或る川へ女が身投を致してその水死体がどこかの橋の下に流れついたのだそうでございます。
 お役向の方々がお調べになりますと、懐にぬれぬようにしっかと包んだ物がある、出して見ますと之がつまり其の女の遺書なのでございます。遺書には次のような気持が書かれてあったそうでございます。

「私は橋本さきと申す、誰もかまいつけてくれない哀れな女でございます。昨年の春、自分の腹を痛めた、愛しい愛しい子を取り返したい為にお奉行様の前に出ました女でございます。あの時、我が子を無理に引っ張って勝ッたため、偽り者め、かたり奴と御奉行様に罵られて、お返し申す言葉もなく帰りました女でございます。私が何故あの時まで自分の子を手許におかなかったかと申す事はあの節申し上げました通りでございますから今更申し述べません。ただ何故私が死ぬ覚悟を致しましたかを申し上げます。あの時の公事は私がほんとの母であったにも不拘、私の負となりました。私はその愚痴は申しませぬ。ただあれから後の事を申し上げたいのです。私はただ我が子を取り戻せなかっただけの筈でございます。御奉行様はきっとそうお考えになっておいででございましょう。けれども世の中という所はほんとうに恐しい所でございます。私は我が子を取り戻す望みを失うと同時に、江戸中の人々から言葉もかけられぬ身の上とならなければなりませんでした。あの公事に敗れた私は、あの子の母親だと人々に信じられなかったのみか、お上を騙る大嘘つきという事に極められてしまいました。今迄私の味方になって居てくれた親類の者共が交き合を断ってしまいます。家主は私を追い出します。私は此の世の中にたった一人になって、而も悪名を背負ってさまよい歩かなければならなくなりました。何処に参りましても使って呉れる人もございませぬ。仕事を与えて呉れる人は更にございませぬ。斯うやって恥かしい乞食のような思いをして、私は一年の間江戸中を野良犬のように歩き廻りました。今から思えばあの時お白洲で、『偽り者め、騙りめ』と仰言った御奉行様のあのお声が江戸中の人々の口からこだまして響いて来るのでございます。私はもう野良犬の様な生き方さえも出来なくなりました。雨を凌ぐ軒の端からさえも追い払われます。どうして生きて居られましょう。私は死にます。死んで此の苦しみから逃れます。唯、死ぬ前に一言、『私は騙りではない、真実の母だ。騙りと云われたのは奉行様なのだ』と申しておきたいのでございます。私が敗公事になりました事に就いては愚痴を申しますまい。けれど御奉行様に一ことお恨みを申し上げておきます。あの時御奉行様は何と仰言いましたか。『斯なる上は其の方達両名で中の子を引っ張るより外裁きのつけ方はあるまい。首尾よく引き勝った者に其の子を渡すぞ』と仰せられたではございませんか。私は唯あの御一言を信じたのでございます。お上に偽りはある筈のものではない。此処で此の子を放したが最後、もう決して此の子は自分の手に戻っては来ないのだ。斯う堅く信じた私は、石に噛りついても子を引っ張らねばならぬと思ったのでございます。あの子が痛みに堪え難て泣き出した時、私ももとより泣きたかったのでございます。けれども一時の痛みが何でございましょう、私が手を放せばあの子は未来永劫私の許には参らないのでございます。御奉行様は御自分でお命じになった言葉が一人の母親にどれだけの決心をさせたか御承知がないのでございます。偽ったのは私ではございませぬ。御奉行様でございます。天下の御法でございます」

 大体右の様なものでございましたろう。私も始めて御奉行様のお顔色の並ならぬ理由を存じたように思いました。
 けれども御奉行様がずっと陰気におなり遊ばすようになりましたのは、未だ此の事のあった頃ではございませんでした。その年の冬からでございます。あなた様方もご承知の通り村井勘作という極悪人がお処刑になった事がございます。あの村井という罪人は随分色々な悪事を働いた者でございますが御奉行様御自身でお調べ中、飛んでもない罪を白状致したのでございました。
 あれは何年頃でございましたでしょうか、四谷辺で或る後家が殺された事がございます。お上で色々とお調べの末、色恋の果の出来事と申す事になり、後家が生前懇ろにして居たらしい男をお捜しになった事がございました。その時の御奉行様の御明智には一同皆恐れ入りましたものでございます。あの時、疑のかかった男数人(其の中に村井勘作も居りましたのでございますが)をお白洲にお呼び出しになり、一方御奉行様は殺された後家の処に永く飼われて居りました猫を人に持たせて御出になりました。扠、人が猫を放しますと猫はするすると煙草屋彦兵衛という者の所にまいり、直ぐその膝の上にのってしまいました。後家の家に飼われて居りました猫は平生しげしげ出入する男だけを見おぼえて居りまして、無心に罪人を指してしまったのでございました。
 之をじっと御覧になって居られた御奉行様は直ちに彦兵衛をお捕えさせになり種々とお糾しになりましたが、彦兵衛は後家の家に今迄一歩も入った事がないと申して中々白状致さないのでございます。平生から生き物がすきで彦兵衛方にも猫が居ると申し、丁度近頃その遊び相手の猫がちょいちょい来るのを後家の猫とは聊かも知らず、よく食べ物などをやって可愛がって居たと、こう申し開きを致しましたので、
「それでは其の方の猫をここに連れ参れ」
 と御奉行様が仰言いました。すると彦兵衛は十日程以前よりその猫が行方知れずになったと云うようなお答えを致したのでございました。此の男は独身者で、誰も彦兵衛が猫を飼って居たと申して出る者もございません。其の中、いろいろ責められて包み切れず、とうとう後家殺しの一部始終を白状致してしまいました。あなた様方もご存知の通り、申すまでもなく彦兵衛は直ちにお処刑になってしまいました。
 所が、先程申し上げました村井勘作という罪人が、四谷の後家殺しを御奉行様の前で、突然白状致したのでございます。初めは御奉行様もお取り上げにもならず「何をたわけた事を申す」と仰言っていらしったそうでございますが、一方、段々役目の方々が訊して参りますと、それがすっかりあの時の事情と符合致すのでございます。そして、平生猫が大嫌いであったので後家の所へ通って居りました頃も、其処の猫を見つけるといきなり足蹴に致したり打ったり致しますので、猫も村井の顔を見る度に恐れて逃げ廻って居たのだと申しましたのでございます。真実猫が嫌いであったのか、仮令猫にもせよ密事を外の目に見られるのを恐れてわざと猫を追いました事やらよくは判りませぬが、左様申し上げたのでございました。何でも之をお聴きになった時の御奉行様のお顔色は土のようだったと御役目の方から承りました。御奉行様は、ただ「たわけ者」と一言仰せられた切り、すっとその場を立っておしまいなされたそうでございます。
 御奉行様の明るいお顔が暗く陰気になりましたのはたしか其の日からでございました。其の日お帰りになりましても一言も口をお開きになりません。其の夜はとうとうお褥の上にもお乗りにならなかったようでございました。其の翌日はお上へは所労と申し上げられて、とうとうお邸に引き籠っておいでになりました。そうしてお邸の中でも一室に閉じ籠ったきり、まるで物も仰言らないのでございます。
 私は自分の浅智恵から、御奉行様はあの煙草屋彦兵衛の為に一室にこもって供養をなさっていらっしゃるのだ位にしか考えませんでした。けれども今から考えますればそんな小さな事だけではなかったのでございます。
 私などが斯様申し上げますのは随分如何かと存ぜられますが、御奉行様はつまり御自身の御智恵をお疑りはじめになったのでございます。御自身のお裁きをお疑りになり始めたのでございます。一言で申せば、自信をお失いになったのでございます。
 今迄は御自分のお考えは何時も正しい、自分の才智は常に正しく動く、とお考えになって居たのに、今度はその土台がぐらぐらとしてまいったのでございます。
 斯うして、御奉行様は毎日毎日陰気にお暮しになるようになりました。出過ぎた事を申し上げるようでございますが、あの頃からのお裁きにはもうあの昔の才智の流れ出るような御裁断が見えませぬ。一歩一歩、それも辿るような足取りでお裁きをなすっていらっしゃったのではないかと存ぜられるのでございます。
 斯様な有様で此の先いつまでも参るのかと私は存じて居りました。而も一方、世間は御奉行様のお心の中などは少しも知らず(知らないのは尤もでございますが)御奉行様をもてはやし、御奉行様の御名声は益々上るばかりなのでございました。




断捨離・・・2

あの時、あんなに欲しかった物。
あの時、役立った物。
あの時、子供のために張り込んで揃えた物。

当時、流行った物。
うっかり、夜中の通販で買ってしまった物。

サイズが合わなくなった物。
今の時代、使うには躊躇されるが高価だった物。

折々の思い出の物。
骨董品には成りきれない父母が遺した物。
数々の記録書類。大量の写真。ビデオ。
・・物
・・物
・・物


捨てなければならないものは限りなく在る。
捨てるには忍びなくて、とっておいた品物達。

さりながら、いま、過去へのセンチメンタリズムは徐々に薄れている。
やっと、思いきれる。
残される娘や嫁の困惑の種は、自分で断っておこう。

悩ましいのは【自分には不用でも、誰かが使える、捨てるには勿体ない物。】だ。
義弟のボラテイアに送るのは、洋服やバッグ、靴にとどまるから。

さてと、
クリスマスの飾り物や、電飾。
幼児用の木製教具。
他社の英語教具。
いつか、教室で使おうと思って準備してあった新品だ。 


先週から、保護者の待合室に置いて、【欲しい方は貰ってください!】
そう、貰っていただけたら幸い。


ボランテイア団体に寄贈するにも、
青空市場に出品するにも
ガレージセールを催すにも
もっと言えば、欲しいと言ってくださる人に発送するにも
体力と意欲が必要なのだ。

もう、それすら億劫。(--〆)
せめて、身体が動くうちに、せっせと、集塵所まで運ぶことにする。




【断捨離】

いつの間にか真っ赤になった千両。
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『そろそろ、大掃除をやらなくては』主婦的感覚はまだ残ってる。


【断捨離】
2010年度の流行語大賞候補の言葉。
【お片付けノウハウ本】ブームの中で、良く売れた本?。

アマゾンで、本の紹介文を読んでみた。

【断捨離】    やましたひでこ著
内容紹介
「断捨離」したら…
・仕事の効率が上がる
・早起きが楽しくなる
・素敵な偶然が増える
・自分を好きになる
そう、新しい世界がはじまるのです。
『新・片づけ術 断捨離』は、これまでのどの整理・片づけ本を読んでも変われなかった
あなたに、福音の一冊です。
「断捨離」(だんしゃり)とは、ヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」をもとにした言葉。

断=入ってくる要らないモノを断つ
捨=家にはびこるガラクタを捨てる
離=モノへの執着から離れ、ゆとりある”自在”の空間にする。

つまり、
「家のガラクタを片づけることで、心のガラクタをも整理して、
人生をご機嫌へと入れ替える方法」。
「そうじ」をしたり、モノを捨てたりすると、なぜか心も軽くなる。
「断捨離」とは、皆が漠然としている「そうじ」や「片づけ」を再定義し、
自分の「内在智」(心や体を快方向に導くセンサー)を磨くための行動へと
落とし込んだメソッドです。
結果、自分の心をご機嫌に、ついでに運気も向上させてしまおうという方法論。
義務感を伴う「片づけ」から、自分の内在智や運気を磨く「断捨離」へ。

すでに一部で話題となり、クチコミやネットなどで認知度も上昇中!
そのメカニズムと効用がこの一冊でよくわかります。


ヨガの先生が・・・三つの行
【物を贈らないこと、頂かないこと】
【食欲を捨てなさい】
【人への執着から離れなさい】
と言う。
要するに…断行捨行離行

本を読んだら実行出来るか?
まずは、目の前の諸物を一瞬の決断力で要る?要らない?と捌く。
不用品の大きなビニール袋二つ。明日、捨てる。
段ボール箱一箱。これは、義弟のボランテイア活動へ送ることにする。

居間から『なんでもかんでも、捨てるんじゃないぞう~!』って、連れ合いの声。。
『大丈夫!、貴方も、猫も捨てませんから・・・ご安心ください。』


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お片付け箱? はい、入っております。恐縮です。



冤罪

ケーブルTVで、映画を観た。
【ザ・ハリケーン】 1999年制作
デンゼル・ワシントン主演。



実存したプロボクサーの冤罪事件。
成功した黒人ボクサー、ルービン・ハリケーン・カーターへの理不尽極まりない冤罪。
黒人への偏見が生み出した冤罪。
終身刑のもと、カナダ人活動家とアメリカ社会の差別意識希薄化の中で、
やっと、30年間の投獄の果てに釈放される。


相変わらずの超早起き・・・偶然、出会った映画。
ヒューマンドラマとばかりではなく、
ドキュメントと見まがうほど圧倒的な迫力。

黒人への偏見に満ちた、過去のアメリカ社会。
今、オバマを大統領に選ぶアメリカ社会。
その間の葛藤と変遷を一気に観た思い。


裁判員制度、死刑の是否、外国籍者への投票権、
DNA鑑定の技術、検察の面子、調書の捏造・・・
微妙で重大な案件が眼の前にたくさんあるのに、みんな眼をつぶっている!


あんな事こんな事・・

政治の話と宗教の話は、お集まりの中でしてはいけない話題だとか。

ブログなら許されるはず。と、おもっても、書けない。

○審議会や、国際舞台での、管首相の情けない挙措動作。

○確信犯的横柄さでぶつけてくる中国漁船。

○参加するのか不参加かのTPP。日本農業の興亡は?

○八つ場ダムの建設中止先送り、などなど、閣内不統一の右顧左眄。

○ロシア外交の、突然の領土宣言。

○のらりくらりと、政府仕分けを無にする狡猾な官僚群。

○赤ん坊まで入れて、一人当たり700万円の借金?

○苛めの存在に耳目を閉じたままの愚かともいうべき教師達。


この国の劣化は如何ともしがたい?  
それとも、
いつの世も、年寄り達は『あ~~あ、嫌だよ嫌だよ、わたしゃ 嫌だよ・・』と嘆く。
時の世相をはかなみ、若い世代を厭う。それの繰り返しにしか過ぎないのか?


もう・・・観ない聞かない論じない。 寝るッ!。
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若猫のん太、三歳の甘さ

そうそう・・・昨夜のNHKドラマ【セカンド・バージン】
いよいよ、若妻役、深田恭子27歳の本領発揮?
あの異様な眼の光は怖い。徐々に狂って行く・・・
ドラマならずとも、鈴木京香も長谷川博己も、負ける。
女優 深キョンの今後にとって、この演技、凶とでるか吉と出るか。

若さには負ける・・・・納得。









私の仕事

私の仕事。
企業存続の危機は30年毎にくるらしい。
そのなかで、公文研究会は、年々、新しい方策をみつけ、改革を重ねて生き延びている。
そのことは、この教育法の根本的優位性の証明だろうし、
携わる社員、ユーザーの矢面に立つ我々指導者の研鑽と努力の成果だ。
・・・と思わざるを得ない。

英語教材の開発を1980年にスタートして以来、
高い経費を厭わず、年ごとに改良を重ねてきた。

この秋から・・
ITの進化とともに、公文英語の音声指導にも新しい機能が提供される。

仕事でもブログでも親しい富山のMさんの掲示板から頂戴しました。
この秋のCFで流れる英語版の【くもんいくもん】。

◆Come on it's Kumon!◆(くもん、いくもん!) 
              作詞 杉江知彦・岩田純平・兼崎知子

Skip in skip come on Kumon
I am on my way to learn
Getting smarter than Mom
English is so much fun

What is your name? How are you?
Would you like to be my friend?
Sunny days and rainy days
A happy place in many ways

I want to talk to her.
I want to talk to him.
Oh, it is a dream come true!

Everybody to Kumon
Just be all that you can be
Come on it's Kumon!


生徒に見せてみよう・・
どのくらい和訳出来得るかな?


最近、仕事終了後の疲労感が募る。
体調不全というより・・責任感に押しつぶされるような疲労感。
老化のせいか?、
突っ走ってきた過去と同じように生徒に全精力をぶつけているだろうか?
気の弱りが頭の隅を横切る。

1980年の英語教材開発以来、ず~~っと、本部に協力してきた自負がある。
その誇りのためにも、もう少し、このIT機器の行方を見つめなければなるまい。





豪華な?独り遊び。

湘南新宿線で渋谷へ。
いつものように雲霞のごとき人波を縫って道玄坂を登れば、東急文化村。
オーチャード・ホール
映画館ル・シネマ
劇場、コクーン・シアターを擁す東急文化村。
地下のキャフェ・ドゥ・マゴで、スパークリング・ワインと収穫直後のオリーブを注文。
文芸春秋を読みながら時間を潰す。
14時50分から映画、【私の可愛い人・シェリ】をル・シネマで。

5時前には終演、隣の東急デパートの寿司店で、お寿司をつまむ。
冷酒、五勺をゆっくり楽しみながら、映画を反芻する。

http://www.cetera.co.jp/cheri/

主演女優、ミッシェル・ファイファー。実年齢52歳。
お相手の美青年は、ルパート・フレンドという期待の新人。29歳。
時代は、第一次大戦を前にした、ヨーロッパ華やかなりし頃。
高級娼婦たちがセレブ的存在だった時代。

この二人の恋愛とその終焉がストーリー。
それぞれ、44歳の盛りを過ぎた高級娼婦と
目的も無く、怠惰で豪奢な日々を過ごす25歳の青年を演じている。
19歳の年齢差を超えた恋愛?。
つまりは、女の【恋情】と、男の【憧憬】とのすれ違い。
男は若妻のもとに帰る・・・・女は自裁する。良くある話さ。

ミッシェルファイバーの美しさはともかく、やせ過ぎ。
せっかくの、アール・デコ調の衣装が貧弱に見える。
ルバート・フレンドは美しいが、ジョニー・デップに似ている。
作品としては・・・
時代背景としての衣装や屋敷、庭園などは豪華絢爛。
アール・デコ時代のコスチューム・プレイとして一見の価値はあるかも。
筋立てをナレーションでするというのは少々お粗末の感あり。



6時半から、お目当ての、というか、友人に紹介された【タンゴ・コンサート】
オーチャード・ホールは一流のタレントが登場する劇場なので期待していた。
日本女性ながら、アルゼンチンでも認められていると言う歌手。冴木杏奈。
客席はほとんど埋まり、本場のタンゴ・クインテットを伴奏にしての熱演。
衣装も洒落ているし、小柄ながら美しい人だから、ステージも決っていた。

それでも、なんとなく、のめり込めない。
やっぱり、タンゴ演奏には、日本人のDNAでは無理なのだろうか。
美声だし、お上手だと思う。
スペイン語も英語も達者。

ただ・・・何処か無理しているという雰囲気が拭えなかった。
熱狂的に唄えば歌うほど・・・



早目に劇場を後にしたので10時前には帰宅。

本当に、豪華な独りきりの1日。
でも・・・もう、夜の東京は無理!。
シャルル・ジョルダンのパンプスも、エルメスのバッグも重くて重くてやりきれない。



イケメン?

イケメンという失礼な言葉が、ほとんど世間に承認されてしまった。

美男子というのも申し訳なくて、【美形】と常々言うようにしている。

『あの方は・・美形だから』と言う具合。

さて、早稲田の斎藤佑樹君は美形だ。

早稲田の他のドラフト一位選手も良く見れば、美形。
むしろ、濃い目鼻立ちで、如何にも、スポーツ選手らしく魅力的。

何故、斎藤祐希君ばかりがもてはやされるのか?

純日本風の・・そう、眉目秀麗とう言うべきか!。
特に、濡れたような瞳の輝き。
彼の眼はいつも、光っている。

アニメの主人公の【瞳に、星がキラリ☆】状態。
このキラリ☆が、ダントツの人気の秘密だと思う次第。



僕も?。(*^^)v
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ピンク色の大きくて高いお鼻。真っ白なお腹の毛。・・・駄猫ながらも。



美形に生まれる!
それだけで、ほんと、幸運。


斎藤佑樹君は、そのうえ【何か持っている】という。
スピーチも、個性的で、言葉が綺麗。。

ゴルフの石川遼君も、もちろん美形にして、コメントも達者。

イケメンなどと言う軽々しい表現は相応しくないし、
美男子という軟弱な響きからも遠い好青年達!。、

まずは、プロ選手として大活躍してほしいものです。

帝国ホテル ライト館

帝国ホテル ライト

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帝国ホテルが創立120周年を迎えた。
オープン日が、なんと、関東大震災当日だったという。
フランク・ロイド・ライト設計。

1967年に、老朽化したという理由で解体、
由緒ある姿は、ライト館と称される玄関部分のみ、明治村に保存された。
大震災にも無傷だったのに、もう解体?と、不審に思ったものだが・・・・
たぶん、大谷石で化粧されていたから、カビや汚れが発生して美しくなくなったのだろう。


 明治23年11月3日、日本初の本格的な洋風ホテル「帝国ホテル」が誕生しました。欧化政策のために外務大臣・井上馨が提案したもので、場所は舞踏会で有名だった鹿鳴館の隣です。国策ホテルだっただけに、開業時、筆頭株主は宮内省でした。
 ホテルはドイツ・ネオ・ルネッサンス式の煉瓦造り3層構造。総建坪1300坪以上という大きなもので、当時「東洋唯一の大ホテル」といわれました。



玄関ロビーの奥の中庭、その横のティー・ルームが、懐かしい。
宿泊客でもないのに、ロビーを突っ切るには気が引けて
いつも、横の入り口から入っていた。
未央柳(美女柳)の、こんもりとした小さな塊だけが其処此処に在った。
ちいさな壺庭。

あえて、孤独を楽しみたくて・・・独りで喫茶した。
質素な身じまいの子娘にも、丁重に優しく迎えてくれた喫茶室。

ガラス越しに目をやると・・夏は優しげな黄色い花、春先には柔らかな新芽の新緑、
秋の黄変した葉、冬、枯れ枝一本一本に積もった雪。
ちょっと、気障を気取った日々の思い出。
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ライト館前庭には蓮池。
冬枯れの水面には、ライト館が逆さに映る。


どうして、通うことになったのかはさて置いて、
旧帝国ホテルは・・・青春のひとコマの大切な背景。





陽はまた昇る

ヘミングウエイの小説では無い。
谷村新司の作詞作曲の【陽はまた昇る】

ドラスティックな歌唱だ。
メロデイーには、メリハリが在って、【陽はまた昇る~】のサビで盛り上がる。
最近の谷村新司は、もう少し、ソフトに淡々と唄っているのではないだろうか?
とはいえ、【群青】【昴】とならぶ、エネルギーの要る歌。
谷村新司の歌詞は、日本語の魅力を改めて見せてくれる。

久しぶりに頂いた曲。
『皆、日本の歌を歌いましょう・・』
ということになり、この歌【陽はまた昇る】を。

『♪夢を削りながら、年老いてゆくことに・・』
このフレーズは私とは違う。
『♪夢を重ねながら、年老いてきたことに・・』かも。(^^ゞ
しょせん、フィクションの世界・・どれだけ、入り込めるか?


日本の歌は、詞にメロデイーが無理なく載るので唄いやすい。
が、有名なシンガーが、心をこめて唄っている名歌。
聴き手には、その歌手の、その歌の、イメージがしっかり残っている。

その歌を唄う・・・大胆な行為。
『もの真似は嫌よ。ご自分の歌にしてくださいね』
これが、また、大変に難しい。


仲間もそれぞれ、日本の歌に挑戦。

同じ谷村新司の【昴】
山口百恵の 【コスモス】
さだまさしの 【祈り】
同じく、さだまさしの【手】
八城亜紀の 【舟歌】
尾崎豊の 【アイ・ラブ・ユー】
岸 洋子の 【夜明けの唄】
ジェリー藤尾の 【遠くへ行きたい】
などなど・・・
いずれも、皆が大好きな国民的歌謡。

先生、シャンソン、飽きたの?ちょっと心配(;一_一)。

お弟子さんは、熟年、老年、の紳士淑女?
若かりし頃の栄光に満ちた経験を持つ?。
それぞれ、気難しくて、我儘、そのうえ、自分に都合良くボケて。
年下の先生に甘えている。
いくら指導曲数が豊富とはいえ・・・
弟子達の下手なシャンソンを聴く日々の15年。お疲れ様です。


先生の期待に応えられたら良いな。




いじめ

また、女の子が自殺した・・・・

告白すると、私も、苛められていた。
いわゆる・・・・つまはじき、仲間外れ・・・


或る日、気がつくと、一緒に食べるはずのお弁当仲間が、違う席に。
頭を下げてまで、笑顔を装ってまで、仲間に入れてとは言えなかった。
数日を経て・・いつの間にか元に戻っている。

旅行の班分け。
それぞれ好きな人とグループを組めと言われて・・
気がつくと、一緒になるはずと信じていた友人たちが違う班に。
自分は一人。先生が、外れ者同士を組み合わせて・・・。
旅行が終わったら、元に戻っている。

あの、言いようのない屈辱感!

それ以来・・仲間外れの恐怖がトラウマになっている。
集団の中の孤独ほど怖ろしいものは無い。


仕事仲間が集まるとき。
あれ?いつの間にか一人・・・?
趣味仲間が集まるときでさえ
『あれれ?』ということ、今でもある。

人間は社会的存在だからこそ、異物を避ける。
常々、私は、自己責任を重んじている。
なれば、避けられることも自己責任に帰すると思うほかない。

そういうわけで・・私は、どうも異物らしい。
覚悟すれば、一人でいるほうが気楽。
あるいはそういう危険の有る場所には出向かない。
居心地の悪さを避けるための方策を持っていないから仕方ない。

しょせん、誰もみな、それぞれ孤独な存在でもあると悟っているから。


それにしても、子供同士のつまはじきの恐ろしさ。
担任教師が気付かず、
気付いても処置の方法も判らないとなれば
子供自身が、【死をもって抗議する】ほかない!


環境から自由に離脱できる大人のそれとは全く違う悲劇だ

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