2013/12/11

12月11日・・・・



クリスマス。
日本本来のお祭り以上の恒例行事となっている。

あの、太平洋大戦の直後、
すぐさま、戦後の欧米化を何より歓迎したのは我らが親世代。
若いサラリーマンだった父は、12月に入ると、
1メートル以上もある本物のモミの木を買ってきて
キラキラ光りものや星や赤や黄色のモールで飾り
てっぺんに大きな星を差しこみ、
雪を模して伸ばした脱脂綿を小枝に載せて・・・
仕上げには電飾のコードをひっぱりまわして完成。

tree_anime07.gif

鶏の丸焼こそなかったが、
バタークリームが盛大に使われたクリスマスケーキを食べ
明朝の枕元にはプレゼントが・・・
それが、当時の定番通りのクリスマスだったろうか。

プレゼントといっても、冬物のセーターだったり、
お正月用の羽子板や羽根だったり・・・こっぽりも?。
貧しくても、新しい時代への夢に満ちた時代・・・
1950年代初頭の家庭のクリスマス風景だった。


12月11日・・・

あの日から二年と9ヶ月を経た被災地のクリスマスは?
子供たちの枕辺やツリーの足元にはどんなプレゼントが在るのだろう?

個々の復興に、格差が顕著になりつつあるこの冬だと聴けば一層、胸が痛い。





  



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コメント

非公開コメント

被災地は「復興ビジネス」が群がっているとのこと。
ひどい話です。

バタークリームのケーキ、なつかしいです。
今はほとんど見かけませんね。

12-11 世渡り上手

子供の頃クリスマスは親が枕元に
置いてくれましたね。
不思議に眠っているときでした。
サンタさんと信じていたものです。

11日を思うと胸がつまります。

草笛さんのように信ずる道を歩けることは
本当に頭が下がります。
まだまだ辞めないでくださいね。


まりりんごさんへ

> 被災地は「復興ビジネス」が群がっているとのこと。
・・・・でしょうね。
空前の建築ブームとも。首都圏の土建屋さんは大移動とか。
それでも、地元の人の雇用に繋がれば良いですね。

今治りんどうさんへ

要するに幼稚なのだと自覚しています。
子供っぽいし思慮が浅いともいえますね。
父親にです。

12月11日・・・・

その頃は裕福な家庭でないと樅ノ木の
ツリーは飾れませんでした。
なので私は教会でにわか信者になって
賛美歌を歌ったものです。

でも懐かしいですね。
心がほっこりします。

それに引き換え被災地の方々はどんな思いで
クリスマスを迎えるのでしょうか。
少しは未来に希望が見えるようになると良いですね。

湘南ぴーすさんへ

我が家は裕福ではありませんでした。
今思うと、父は四季折々、きちんと家中を整える人でした。

それに引き換え、父母の薫陶も虚しく、一人娘の私は、
夫のお気楽さの方になじんでしまってラクチンに生きてしまいました。