2009 / 11
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小6の孫娘。冬休みの宿題は【戦争の話を訊いて、作文にする】だけという。 ジジとババの戦争話を,沈鬱な表情を浮かべながら聴いている。

1942年・・・ババは、太平洋戦争勃発の年に生まれて・・・戦火に巻き込まれるというウワサを怖れ、横浜市鶴見から栃木県宇都宮市に疎開。
ほんの赤ん坊だったはず。そこで、また、焼け出され、一文無しに。
宇都宮さえ、焼け野原になり、その奥の大田原市に逃れ、三歳で終戦を迎える。
その後、横浜の小学校に入学するまで其処で過ごした。

当時、宇都宮は北関東の農作物の大集散地。米軍は其処を狙った。
B29からの焼夷弾の雨のなか、近くの城山に逃げ込むときに、母の背中に負われながら、防空頭巾の隙間から真っ赤な空を見た・・・という記憶。
大田原は、一面赤土の、何にも無い、のっぱらの町・・・という記憶。
来る日も来る日も、薩摩芋と、豆と、かぼちゃの混じったご飯だった記憶。
縁先の茣蓙に並んだ、乾燥芋や梅干を、隠れて食べた記憶。
病に臥した母の寝床の傍らで、ずっと遊んでいた記憶。

そんなあんなは、實体験の記憶なのか、親戚の誰彼が語ったエピソードへの共感からの錯覚か。
定かではないが、唯一の戦争体験。

1937年生まれのジジは、東京本郷が危険という事で、彼の東京下町大空襲の前年には群馬県、渋川に疎開。東京の学芸大付属という坊ちゃん学校から田舎の小学校に転校して味わった自然の中で遊ぶ楽しさ。
高崎の空が真っ赤になり、『それ、火事だ!』と、消防隊が高崎にかけつけると、まだまだその先の空が真っ赤。やっと、『アレは東京?』と悟り、遠くの紅蓮の空を見やったという、笑えない笑い話。
東京大空襲の夜のこと。

天皇の終戦の詔を、大人に混じって、聴きながら、なんとなく『終わったんだ』と思った事。
周りのオトコ達は泣き、オンナ達は笑ったという記憶。
学校では教科書を墨で真っ黒に塗り潰した記憶。

『戦争は大嫌いだ』と言った、と、かならず書くように孫に指示するジジ。

戦争への感想など、言った事も聴いた事も無い我々夫婦。
孫娘に語りかける言葉の中に、互いに初めて、戦争を批判し案じた。

いままた、イスラエルとパレスチナ。
ガザ地区への爆撃。
いつまで、日本は安穏を保証されて居られるだろうか。
孫息子が徴兵される・・・必ずしも【馬鹿げた話】ではなくなっている。

「良い宿題を出す、良い先生だね。」
「うん、大好き!良い先生だよ〜〜!」とうららかに答える。


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