季節の先取り・・・服装
おしゃれをするという感覚には、日本の和服に伝わってきた四季感覚が重なっている。
和服には夏の装い冬の装いという、暗黙のルールがある。
そのルールは日本中統一されていて、解りやすいとも言えるが面倒でもある。
五月からは夏物に。いわゆる衣替え。
一重か、薄物か。 あるいは、白っぽいもの、薄い色目ナドナド。
9月に入れば・・・一斉に袷(あわせ)になる。
いってみれば、まだ寒いのに、一重を着たり、暑くても袷にする、といった季節の先取り。
それは粋か野暮かと評される域以上の常識にまでなっていて、女性は神経を使う。
その感覚は、当然、洋服にもある。あった。
季節を先取りする・・・それが、おしゃれの楽しみ。
「もう、9月だもの、秋の装い?色も秋らしくしなくては。」
「白い袖無しなんてもっての外?」
と悩むことも。
デパートに至っては、八月の末ともなれば館内は秋モノに占拠され、盛夏の支度で迷い込んだりしたらいたたまれない気分になる。
それが顕著なのが東京という街!だった。
先日のオペラ見物は9月4日。
さぞかし街じゅうが秋に?と思い込んで出かけたが、なんと、それぞれが勝手気ままな装い。
もちろん、先取りの長袖スーツも見かけたが、圧倒的なのは、暑さに対応した夏の服装のまま。
アメリカみたい・・・!
季節感も無く、着たい服を着ているのだ。
ココシャネルが「コルセット」を取り払ったように、
21世紀の、地球温暖化は、季節の縛りからも、解放したのだろう。
TPOなどと古臭い言葉もすでに聞かない。
ドレス・コードという決りなど、まだ生きているのだろうか?
そこには御洒落に必要な「耐える美」は、もう無くなっている。
気ままに、着たいものを着る美しさ・・・こそ、御洒落なのだ。
ルールもないばかりか、教えてくれる人も無い。
とすると・・・着る本人の感覚の良しあしが問われることになる。
与えられた自由を、どう生かすか。
最近のブランドショップ、デザイナーの作品にさえ、魅力が無く、統一感が失せているのはそのせいかもしれない。